日記
事あるごとに「悩む」というのが人のサガのようだ。
勿論、私も悩んでいる状態に当たることは多々ある。
ここでいうのは、好きなものを選択する「悩む」よりも、どうしようもないストレスが伴う「悩む」だ。
ただ、悩むということの結果として、自身にどう働くかというのはまた別の話であるような気がする。
というのも、悩むということ自体は自分自身にとってプラスに働く行動だと思っている。
悩むということはその時ぶつかった事象に対して、考えを巡らせている状態であるし、新しい道のようなもの、又は既存の道のようなものを再認識するような作業だ。
そもそもは、今自分がぶつかったものに何か違和感のようなものを確実に感じているが為の、「悩む」だと思う。
悩むという選択をとっていふ時点で、脳みそが成熟している状態だと思うので、結果がどう転んだとて長い目で見た時にプラスになるだろうという話をしている。
こう言ってしまうと、綺麗事を並べているように私も見える。
今悩んでいることが苦しくてしんどいわけだ。
ただ言いたいことは、「悩む」ことを一枚外側から見て「考える」ことで自分にとってのストレスとして蓄積されるものを、前提にプラスを置くことで多少なりとも解消される問題なんじゃないか?ということ。
勿論、考えた上で、悩む事は胃痛を伴いながら悩む。
しかしそれと同等に、考えなくていいところまでは考えない。という線引きの感覚を持って対応することが、「悩む」ことに悩んでいる状態の解決策となり得る。
これは私自身が考える生きていく上での処世術であり、言葉にしておくことでの自戒なので異論は多々あるだろう。
でも人の数だけ異論はあるので、ここでの異論も否定も、また肯定もナンセンスだと思います。
納得できない意見として納得するか、共感して納得するかの差です。
戒め続けて、かっこいいおじとして納得して死ねたら1番よいです。